子規顕彰、情熱の足跡 29日から特別展
日本を代表する俳人として、国内外で知られる正岡子規。その顕彰活動に情熱を注ぎ、礎を築いた2人の弟子を取り上げた愛媛県の松山市立子規記念博物館(同市道後公園)の特別展「子規を伝える―柳原極堂と寒川鼠骨」の開幕を前に28日、内覧会があった。展覧会は29日から6月6日まで。
直筆原稿や掛け軸、書籍など約100点がそろう。主に松山での顕彰活動を担ったのが松山中学校以来の親友、柳原極堂(1867~1957年)。海南新聞社(現愛媛新聞社)に勤めていた1897年、子規派の俳句を広めようと俳誌「ほとゝぎす」を創刊した。子規の原稿「ほとゝぎす発行処を東京へ遷す事」には、「ほとゝぎすの名存する限りは極堂氏の名は永く忘らるゝことなかるべし」などと、極堂へのねぎらいや謝辞が記されている。
子規の没後、極堂は子規研究の基礎文献「友人子規」を執筆し、松山子規会の結成などに尽力した。
寒川鼠骨(そこつ、1875~1954年)は東京・根岸にある子規庵(都指定史跡)の保存に奮闘した。最晩年に色紙に書いたとみられる句「子規文庫死を賭し守り忌を修す」も展示。「子規文庫」とは子規庵にあった土蔵のことで、1945年の東京大空襲の際、中におさめられていた子規の遺品や遺墨が辛くも焼失を免れ、鼠骨の安堵(あんど)の気持ちがうかがえる。