高松市沖で庄内小学校(愛媛県西条市旦之上)の児童29人とPTA会長が亡くなった旧国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の沈没事故から11日で61年。当時を知る関係者が少なくなる中、遺族の菅艶子さん(80)=西条市旦之上=が自らの体験などを基に2015年5月に発行した紙芝居「三十のみたま来ませ」を上演する市民の輪が少しずつ広がっている。
 事故は1955年5月11日早朝に起きた。濃霧の中を高松港から岡山県の宇野港へ向かっていた紫雲丸は貨車運搬船「第三宇高丸」と衝突し数分で沈没。乗客・乗員847人のうち、修学旅行中の同校などの児童ら168人が犠牲になった。
 紙芝居は13の場面で構成され、庄内小の6年生77人と保護者2人、教員4人が修学旅行に出掛け、高松港で乗船した紫雲丸で遭難するストーリー。菅さんの兄でPTA会長だった青野忠義さん=当時(39)=が6年生だった長女の恭子さんを助けに船内に戻り、抱き合ったまま遺体で見つかったことや、校庭に犠牲者30人の名前を彫った「みたまの塔」を56年3月に建立したことなどが描かれている。
 制作のきっかけは、菅さんの丹原高校の同級生で「えひめ紙芝居研究会のぼ~る」会長の佐伯美与子さん(80)=松山市=から2014年6月に届いた手紙。同封の事故に関する記事を読んで、亡くなった児童らから「私たちを忘れないで」と言われたような気持ちになり、事故の記憶を紙芝居にしておこうと思い立った。
 途中で行き詰まってしまったが、60年の節目となる15年5月11日の慰霊祭までに完成させたいと、佐伯さんに脚本を依頼。絵は、のぼ~る副会長の松江みどりさん(75)=松山市=が担当した。