俳人正岡子規(1867~1902年)の命日「糸瓜(へちま)忌」の19日、松山市内で墓前祭などの追悼行事があり、松山が生んだ偉大な俳人をしのんだ。
 市立子規記念博物館(同市道後公園)での集いには、県内外から約150人が参加。会場には子規の絶筆三句と、子規顕彰に尽力した柳原極堂の「吾生はへちまのつるの行き処」の辞世句が掲げられた。子規のいとこ平松牛夫さんらによる献花の後、竹田美喜館長が極堂に関する講演で「極堂は、子規顕彰への熱意に打たれた人たちの協力を得て、活動してきた。そのような方々のことも、この子規没後115回忌に思い出してほしい」と呼びかけた。
 末広町の正宗寺では、松山子規会が墓前祭などを行い、会員ら約40人が出席した。子規埋髪塔前で読経後、「子規愛でし柿の色紙は父の作」など献詠3句を披講。本法要後、今村威副会長が「子規の東京松山比較表」と題し講演した。