江戸時代に赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りした日に当たる14日、松山義士祭が愛媛県松山市末広町の興聖寺であり、地区住民や来場者らが江戸の松山藩邸で切腹した浪士10人の忠義心をしのんだ。
 地元の末広町自治会などが1964年から開いており53回目。興聖寺には、10人のうち木村岡右衛門と大高源吾の遺髪を埋葬した供養碑がある。
 義士行列には末広町商店連盟などから約30人が参加。法被をまとい刀ややりを持ち、雨の降る同町内や伊予鉄道松山市駅周辺を練り歩いた。