戦後70年の節目に平和の尊さを次世代につなぐ「平和のつどい」(松山市主催)が18日、松山市湊町7丁目の市総合コミュニティセンターであり、市民ら250人が参加。市内の中学生と戦争体験者らによる平和シンポジウムなどを通し、争いのない未来を紡ぐヒントを探った。
 シンポには、松山市が任命した「平和こども大使」として8月に広島市を訪れた高浜中学生5人と、松山市の「平和の語り部」として活動する松山空襲体験者や広島原爆の体験者らが登壇し、意見を交わした。
 平和の語り部の中山淳さん(85)は、1945年7月26日の松山空襲で焼夷(しょうい)弾が全てを焼き尽くした光景を「音まで燃えた。音のない世界だった」と表現。「本当のことを知らされないのが戦争」と当時を振り返り、戦争の恐ろしさを伝えた。
 中学生も積極的に発言し、3年井上尚貴さん(14)は空襲体験者に「生きる原動力は何だったのか」と疑問を投げ掛けた。語り部から「戦争の犠牲者を思う優しい心を持ってほしい」とメッセージを受け取った5人は「身近な平和を築き続けたい。それは誰かが誰かのためになろうとすること」と力を込めて応えた。
 このほか広島平和文化センターの小溝泰義理事長の講演や詩の群読、合唱などがあった。