愛媛県の松山市埋蔵文化財センターは11日、松山城三之丸跡17次調査で、藩主の屋敷だった三之丸御殿の西側に、これまでで最大幅の溝を確認したと発表した。
 調査地は、堀之内の旧国立病院四国がんセンターの跡地。16次調査までの成果や1864(文久4)年の「亀郭城秘図」などを基に3区画を調べた。
 溝は第1区画にあり、東西に長さ約13メートル、幅約1.3メートル、深さ約0.5メートル。御殿西側の南北に延びる側溝と接続している。側溝はこの合流点に向かって低くなっており、集まった水を西へ流す機能があったと考えられる。
 合流箇所の端石には、板状の橋を載せるために縁(高さ約3センチ)の加工が施されていた。橋は東西に長さ約7.7メートルあったと推測される。河野史知主任調査員は「かなり立派に造られた溝。これほど大きいものが出るとは予想していなかった」と話した。