「88年を経てもなお、人形交流の物語は若い世代の心を響かせる何かを持っている」。日米開戦前に海を渡った人形が昨年米寿を迎え、愛媛県松山市の人形愛好家グループが人形用に記念の帽子「ピースキャップ」を贈ったところ、米ネバダ州の地元紙がこのほど大きく報じた。国内外からお礼の手紙が届くなど反響も大きく、関係者を驚かせている。
 1927年の日米人形交流では、米国から日本各地の小学校などに「青い目の人形」が贈られ、返礼として市松人形が全米各地に届けられた。「(戦禍をくぐり抜けた)『歴史の証人』にそろいの帽子を」と昨秋、「日米人形交流実行委員会愛媛」(田中安子代表)が約120個を製作。電子メールなどでの呼び掛けに応じた米国22カ所、国内約60カ所に「帽子姿の人形の写真を送って」と依頼を添え発送していた。
 和歌山県が贈った市松人形を保管するネバダ州リノの歴史協会(博物館)から年明け早々届いたのは、昨年12月1日付の地元紙「Reno Gazette―Journal」。帽子をかぶった「ミス和歌山」の写真と共に人形交流の歴史を詳報、博物館に学生らが見学に訪れていると伝える。田中さん(67)は「人形交流の記憶を継承する活動が海を越えて大きく報じられ感激している」と喜ぶ。