愛媛県松山市来住町の国史跡久米官衙遺跡群「来住廃寺跡」の調査開始から半世紀になるのにちなみ、市考古館(同市南斎院町)で特別展「松山の飛鳥・奈良時代―来住廃寺のルーツを求めて」が開かれている。11月13日まで。
 来住廃寺は飛鳥時代の創建で、1965年に発掘調査に着手した。特別展ではその起源に迫ろうと、同寺のほか法隆寺、四天王寺など近畿圏の瓦を中心に約50点が並ぶ。
 国の特別史跡「山田寺跡」(奈良県)の出土品14点は、いずれも重要文化財。屋根の大棟などを飾る鬼瓦は、飛鳥時代はハスの花をデザインした「蓮華文(れんげもん)」、奈良時代は鬼をかたどった「鬼面文」と時代によって文様が異なっている。
 特に鬼面文は、東大寺(奈良県)と同じ型から作られており、天平宝字年間に山田寺に搬入されたと考えられている。
 来住廃寺の軒丸瓦は飛鳥時代から平安時代までのものが一堂に並ぶ。多くは蓮華文だが、花弁の数が異なるなど時代の変遷が分かる。また三重丸の「重圏文(じゅうけんもん)」は、聖武天皇が難波宮を造営する際に考案された文様で、畿内地方とのつながりがうかがえる。
 市考古館の小玉亜紀子学芸員は「身近にある遺跡が奈良や大阪とも縁があることを感じてほしい」と話している。
 16日午後1時半から、奈良芸術短大の前園実知雄教授が「久米官衙群と来住廃寺を考える」と題し講演する。問い合わせは同館=電話089(923)8777。