夏目漱石門下の俳人松根東洋城が松山に帰省中の1908(明治41)年9月、地元の俳人村上霽月(せいげつ)と画家下村為山の3人で道後の旅館「鮒屋」(現ふなや)に泊まり、俳句を寄せ書きして東京の漱石に送った絵はがきが、岩波書店が保管する312通の絵はがき類の中から見つかった。東京都目黒区の日本近代文学館で24日始まる特別展「漱石―絵はがきの小宇宙」(同館主催)で初公開される。
 絵はがきは、為山が描いた道後温泉本館の霊(たま)の湯の絵が裏一面に印刷された市販品。「新涼に寝れば広しや十五畳」(東洋城)、「新涼に底まで澄める朝湯かな」(霽月)、「連れ立つや宿の浴衣を借着して」(為山)とそれぞれの自筆句がある。
 表の通信欄には東洋城が「温泉は不相変心地よし」と報告し、近くの公園で月をめでながら「(松山に)滞在の為山画伯とも語らふ」と記している。
 漱石は1895年愛媛県尋常中学校(現松山東高)に赴任した際、前年完成した道後温泉本館に足しげく通い、鮒屋では当時珍しかったステーキを高浜虚子と初めて食べたことが知られている。
 絵はがきを受け取ったころ、漱石は「三四郎」を朝日新聞に連載中(1908年9~12月)だった。岩波書店の依頼で絵はがき類を調査した中島国彦・早稲田大名誉教授は「漱石は3人から届いた絵はがきを見て、松山時代を懐かしく思い出しただろう」と話している。
 保管されていた大量の絵はがき類は、弟子や知人などから送られたもので、時期は04年から漱石が死去した16年まで。当時は絵はがきブームで、漱石が「吾輩は猫である」を発表した05年以降に多く届くようになり、中には猫を描いて感想を寄せた読者もいる。
 特別展では漱石宛て絵はがき約140通のほか、漱石が留学先のロンドンから正岡子規に宛てた絵はがき(1900年12月、個人蔵)なども展示している。11月26日まで(日・月曜、第4木曜は休館)。観覧料200円。日本近代文学館=電話03(3468)4181。