愛媛県今治市伯方町の俳人阿部里雪(1893~1973年)宅で3月末に見つかった県内俳人らの作品・資料のうち、松山市出身の俳人高浜虚子(1874~1959年)筆の書簡が、県内の俳人名簿発刊に際し寄せた文章だったことが分かった。調査した虚子記念文学館(兵庫県芦屋市)の小林祐代学芸員は「初めて見る内容。故郷を思う虚子の気持ちがよく分かる」と評価している。
 書簡は、正岡子規の友人で当時伊予日日新聞社長だった柳原極堂(1867~1957年)と里雪宛てで6月7日付。「愛媛県下の俳人の名簿が出来るのは、私に取つて親しくなつかしい事である」と始まり、子規が生誕地の松山で句作に励んだことなどに触れ、「独り子規居士のミならず、(内藤)鳴雪翁はじめ我等に至るまで、此地を誕生地としてをる。其土地の俳人諸君の名簿は、恰(あたか)も家族の名簿、親類の名簿といつていゝものである。」などと記している。
 里雪が著作「子規門下の人々」(61年)で言及していた虚子句「さしくれし春雨傘を受取りし」の銅版短冊も確認。