「四十七士」として知られる赤穂浪士の討ち入り後、松山藩預かりとなり切腹した浪士10人をしのぶ「松山義士祭」が14日、愛媛県松山市末広町の興聖寺であり、地区住民や来場者が義士の忠義心に思いをはせた。
興聖寺には、10人のうち大高源吾と木村岡右衛門の遺髪を埋葬した墓がある。忠義の心を受け継ごうと、末広町自治会などでつくる実行委員会が1964年から討ち入りの日に合わせて祭りを開催し52回目。
義士行列では討ち入りの際に浪士が着たとされる法被をまとい、やりや刀を手にした住民ら計28人が「えい、えい、おー」と気勢を上げて寺を出発。約1時間かけて町内を巡回した。