太平洋戦争末期の1945年3月、愛媛県宇和島市津島町上畑地の畑地国民学校初等科(現畑地小学校)で卒業式を迎えられなかった6人が25日、70年越しに卒業証書を手にした。82歳になった卒業生は、祝福される感動と同級生への思いをかみしめた。
 畑地小学校開校百周年記念誌などによると、45年3月29日に50人が同校で卒業式をする予定だった。当日の午前7時半ごろ、畑地地区に米爆撃機が飛来、空襲警報が3日間鳴り響いた。学校は休校となり、式は中止された。
 「戦火が激しくなり修学旅行に行けず、卒業写真もない」。卒業生の一人、清家源太郎さん(同市津島町上畑地)が「70年目の節目に思いを遂げさせてくれないか」と畑地小と市教育委員会に相談し、快諾を得た。同級生の20人は既になくなっていた。当時疎開した10人とは連絡が取れず、残り20人に呼び掛けた。