版画家、名嘉睦稔さん 瀬戸内海を語る 「この場所もボクの場所なんだ」
目に映る景色を切り取ることだけではない。風を、音を、雨も、波のうねりさえも体の中に受け入れ、イマジネーションを膨らませていく。島々に点在する集落を見れば、人々の暮らしや歴史に思いを巡らせ、島に咲く山桜に、奥ゆかしさと、種を運んだであろう鳥たちの営みにも心を躍らせる。
4月10日、沖縄県在住の版画家、名嘉睦稔(ボクネン)さんは、松山港から出港し、瀬戸内海へと釣りに出た。2日前から愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催されている個展「名嘉睦稔展―風の伝言(いあい)を彫る-」のため来県。開展式、作品のライブ制作、サイン会、報道機関の取材…。ぎっしり詰まったスケジュールの合間、瀬戸内海を感じる時間を過ごした。
「周囲360度、島々が点在する。ぼくにとって初めての光景」。太平洋と東シナ海に囲まれた沖縄の海で、幼いころから釣りに親しんできたボクネンさんは、その風景に目を輝かせていた。「島々の、あのふくよかな姿。豊かで、母性を感じる。女神のようだ」。イマジネーションが大きく膨らんでいく。
この日、海は荒れていた。穏やかな普段とは異なる顔を見せる。体感的には2月のような気温。雨に打たれた体に風が吹き付ける。手はかじかみ、リールが思うように回せない。だが、ボクネンさんはありのままを楽しんでいた。「このかじかみ。20年来、感じたことのない感覚。これを全部引き受ける。体がなじむ。すべて受け入れたとき、自分の中で適応能力とイメージが湧いてくる」。時折、沖縄民謡を口ずさむ。
船を追っていたカモメたちが、ふわりと上空へと舞い上がっていく。「風を感じ、風をつかんで舞い上がる。カモメたちはどんな風景を見ているんだろう」
島々に点在する小さな集落。「寄り添って生きる。そこには由来があり、背景にある物語性をすごく感じる。人が生きてきた物語、どういう暮らしをしているのか、話をしてみたい」
シイやナラの木々の合間に、彩りを散りばめる山桜。「冬を耐え、潮風に吹かれながら、他の木々たちに負けず劣らず可憐な花を咲かせる。奥ゆかしさと、凛とした美しさを感じる」
湧き上がる興味とイマジネーション。ボクネンさんの体の中で、抑えきれない胸騒ぎがこみ上がる。「まだ、描けていないことで、体に毒が回るような感覚になる。瀬戸内の海から見た景観と感覚がボクの中に刻み込まれてしまった。この場所もボクの場所なんだ、ボクとしてイメージを炸裂させていい場所なんだ。そう思えてきた」。
ボクネンさんは、愛媛展に合わせ、県内を巡った。瀬戸内しまなみ海道、新居浜太鼓祭り、宇和島の段々畑…。そこから得たイメージは、作品となって同展覧会に展示されている。今回の「瀬戸内海の旅」もまた、新たな作品群として、世に出ることになるだろう。