酒井稔さん死去、愛媛の演劇文化けん引 86歳
愛媛の演劇界を長年支えるとともに反戦平和運動を続けてきた酒井稔(さかい・みのる)氏が16日午後10時20分、胆管がんのため松山市の病院で死去した。86歳。内子町出身。自宅は松山市木屋町4の35の1。葬儀・告別式は19日午前10時半から松山市天山3の2の27、ベルモニー会館天山で。喪主は長男哲哉(てつや)氏。
1957年に現在の「こじか座」の前身となる児童劇団を立ち上げ、以来60年近く愛媛の演劇文化をけん引。教員として勤務した松山東雲中・高校などで、子どもたちに演劇指導した。
戦時中、海軍飛行予科練習生に志願し、山口県周南市の基地で訓練中に終戦を迎えた。松山市平和資料館をつくる市民の会会長として2003年から毎年、松山空襲の惨状を語り継ぐ資料展を開き、平和の尊さを訴え続けた。広島で被爆し亡くなった松山市出身の俳優丸山定夫の顕彰にも尽力した。
前県文化協会長、愛媛演劇集団協議会長。15年に愛媛新聞賞。