「シベリア抑留の労苦を語り継ぐ集い」(全国強制抑留者協会県支部主催)が31日、愛媛県松山市道後町2丁目のひめぎんホールであった。抑留体験者で県支部長の崎岡秀夫さん(88)=松山市南町1丁目=らが過酷な体験を語り、平和の大切さを訴えた。
 陸軍特別幹部候補生に志願した崎岡さんは、旧満州の飛行場で特別攻撃の訓練中に終戦を迎えた。「日本に帰れると信じていた」期待は裏切られ、旧ソ連によってすし詰めの列車でシベリアのシャブール収容所へ送られたと記憶をたどった。
 未完成の収容所はトイレも風呂もなく、冬場は氷点下25度以下になる過酷な環境だった。外界とも遮断され「非人間的な扱いで重労働を課されるだけだった」。満足な食事は得られず、毎日誰かが亡くなったが悲しむ余裕さえなく、「だんだん人間の誇りや友情がなくなっていった。哀れを通り越していた」と声を落とした。