愛媛県松山市堀之内の県美術館で開催中の「空海の足音 四国へんろ展」愛媛編の関連イベントとして21日、愛媛大の胡光准教授(日本近世史)の講演「四国霊場開創1200年と世界遺産への道―空海と弘法大師の足跡―」が同館であった。
 講演では空海と、入定後の弘法大師を分けて説明。四国霊場を開創したとされる815年当時の空海は42歳。空海の著書「三教指帰(さんごうしいき)」によると、18歳のころ四国で修行したことが分かる。空海の遺言を記したものには、43歳で高野山を賜ったとあるが、42歳の時に四国へ来たかどうかは書かれていない。
 一方、江戸時代末期の88番札所大窪寺(香川県)の縁起には「弘法大師42歳の時に寺を再興し、88番目の札所とした」との記述がある。このことから、少なくとも約160~200年前には、弘法大師が42歳で霊場を開創したという伝承が始まっていたと考えられるという。