薩摩の戦国大名、島津義久が1590(天正18)年に琉球国王の尚寧(しょうねい)に宛てたとみられる書状が、愛媛県伊予市の個人宅で見つかった。豊臣秀吉の関東平定を伝え、祝いのために上洛(じょうらく)するよう促す内容。義久の書状を研究する東京大史料編纂(へんさん)所の黒嶋敏准教授(日本中世史)は「同時期のほかの文書で使っている義久の花押と同タイプで、原本と確定できる」と指摘している。
 書状は縦約33センチ、横約45センチの斐紙(ひし)に筆書きで、「日本天正拾八年仲秋廿一日 修理大夫義久」と記され、義久の花押と朱印がある。宛名は「琉球国王」としている。
 書状がどのような経緯で愛媛に渡ったのかは不明だが、黒嶋准教授によると、明治時代には書状が愛媛にあったことを示す記録が残っているという。史料編纂所に残る記録では「下浮穴郡役所所蔵文書」と紹介。「下浮穴郡役所」は明治の一時期、現在の松山市森松町に置かれその後、合併し「伊予郡下浮穴郡役所」となった。