「日本の飛行機の父」と称される二宮忠八(1866~1936年)の出身地である愛媛県八幡浜市と、忠八が晩年を過ごした京都府八幡市の中学生が、17日から19日まで八幡浜市で交流を図っている。両市の友好の懸け橋となった生徒47人が、自然・文化体験を通して忠八つながりの縁を深めている。
 八幡市には、飛行機事故の犠牲者を慰霊するために忠八が晩年、私財を投じた「飛行神社」がある。「八幡」の字で「やわた」と読む市名もきっかけで、中学生交流事業は2013年から実施。今回は八幡市の20人が八幡浜市を訪問した。
 17日は、歓迎式典の後、市民会館で、坊っちゃん劇場(東温市)の役者3人による忠八の半生を伝えるパフォーマンスを観覧。市民図書館では、玉虫型飛行機の模型や移築復元した八幡市の晩年の住居の一室などを見学し、生誕150年の節目を迎えた忠八への理解を深めた。