堀端の風景を守った功労者を語り継ぎたい―。戦後、松山城の堀の埋め立て計画反対運動の先頭に立った愛媛県松前町出身の元衆議院議員で弁護士の故・岡井藤志郎さん(1895~1974年)の顕彰碑が25、26両日、町の文化祭で披露される。2000年前後に松山市内の西堀端付近から姿を消した後、碑の行方を知る人は少なくなっていた。引き取った松前史談会員らは「壊される危機を何度も乗り越えた碑がやっとみんなに見てもらえる」と楽しみにしている。
 鷲野共次郎会長(73)や碑文によると、岡井さんは松前町南黒田の生まれ。48年~49年ごろ、松山に進駐していた米軍の愛媛軍政部が「不潔だ」との理由で堀の埋め立てを勧告し、松山市議会も予算案を可決。岡井さんは文化的な風景と農業用水を守るため、松山市城濠水利組合の組合員らと計画撤回を進駐軍に直接掛け合った。
 初めは階段の上から突き飛ばすほどのけんまくだった進駐軍の司令官は、岡井さんの熱弁にほだされて「味方になろう」と握手。組合員らは「万歳」と叫んだという。