松山松平家初代藩主・定行の実弟、定実(さだざね、1597~1632年)の大坂夏の陣での活躍を伝える伊達政宗らの書状8通が愛媛県松山市内にある定実の子孫宅で見つかり、28日に初公開された。調査した伊予史談会役員らは「県内で1600年代初めの古文書は非常に少なく、大名らの書状が残っていることは意義深い」としている。
 定実は、徳川家康の異父弟にあたる松平定勝の四男。1615年、大坂夏の陣では家康の旗本として出陣した。軍功を挙げたが、持ち場を離れたとして家康の怒りを買い、定行の所領があった静岡・掛川に蟄居(ちっきょ)した。
 夏の陣での定実の軍功は、松山藩松平家の系譜書「久松家譜」で「伊達政宗・片倉重綱(中略)横田尹松等書ヲ以テ其効ヲ証ス」と記されており、8通はその原文書にあたる。定実やその家臣宛てで、定実の活躍を家康に証言することなどを記している。