夏目漱石の没後100年をテーマにした日本英学史学会の全国大会が5日、2日間の日程で愛媛県松山市の松山大樋又キャンパスで始まった。初日は竹中龍範・香川大教授の特別講演「松山時代の漱石」があり、愛媛県尋常中学校(現松山東高)の英語教師・漱石の姿を解説した。
 漱石は帝国大(現東京大)の英文学科を卒業。1895(明治28)年、28歳の時、松山に赴任し、1年間教壇に立った。教え子に俳人松根東洋城や主治医として最期をみとった真鍋嘉一郎らがいる。
 竹中教授は漱石赴任前後の松山の中等教育事情に触れ、「私立愛媛県高等女学校(現松山南高)では英語は随意科、今でいう選択教科だった」などと紹介。県尋常中学校の英語授業は各学年で週7~8時間あり、文部省が示した時間数と比べて多いとされるが、「三重県の尋常中学校はこれを上回っていた」とした。
 漱石の授業に関し、教え子の回想を引用しながら「辞書が間違っているので直しておけ」という名ぜりふなどを挙げ、「当初、松山の生徒に悪い印象を持っていなかったが、秋に入ると一転し、松山を離れることを望むようになった」とした。
 漱石は1916(大正5)年12月9日、49歳で亡くなった。来年2月、生誕150年を迎える。