1945年8月、広島で被爆し終戦翌日に亡くなった愛媛県松山市出身の俳優丸山定夫を悼む「白炎忌」が命日の16日、同市湊町7丁目の市総合コミュニティセンターであり、市民らが胸像に花を手向け、足跡をしのび平和への思いを新たにした。顕彰活動を続ける「丸山定夫を語る会」(松山市、畑野稔会長)主催。
 丸山は「新劇の団十郎」とも呼ばれた個性派俳優。会によると、言論統制下の戦中に芝居を続けるため、国策で各地を巡る日本移動演劇連盟に加盟。移動劇団「桜隊」を率いて巡業中、爆心地から約750㍍地点で被爆した。終戦を知り、再び自由に演じられる喜びを語った直後、44歳で帰らぬ人となったという。
 16日は、会が2010年にセンター敷地内に建てた胸像に会員ら6人が花輪を飾り、「戦争は文化も人間も壊す」「新劇の歩みを松山の若者に伝えなくては」などと語り合った。