太平洋戦争の終戦翌年、来島海峡で起きた今治港と宮窪港(愛媛県今治市大島)を結ぶ定期船「宮窪丸」沈没事故から70年を迎え、当時の乗船者らが2日、現場海域や再建された慰霊碑付近を訪れ、犠牲者64人の冥福を祈った。
 事故は1946年11月16日、下田水港(吉海町臥間)沖の中渡島と武志島の間で発生。死者18人、不明者46人を出す惨事となった。原因は定員51人に対し205人が乗船していたことによる定員超過。背景には戦後の深刻な船不足があり、大島の住民や旧制今治中学(現今治西高校)の生徒らが犠牲となった。
 2日は、当時の乗船者や乗組員ら10人が参加。下田水港から船に乗り、沈没現場で花を手向け、手を合わせた。