自らも朝鮮半島出身の夫を持ち、戦後に韓国で在韓日本人妻の支援に力を注いだ国田房子さん(101)=愛媛県西条市出身、韓国在住=の里帰り記念行事が19日、松山市のホテルであった。国田さんは「第2次世界大戦に敗戦し、残留日本人妻は恐ろしいほどの貧しさと痛いほどの苦しみ、寂しさを味わった」と語り、「泥だらけになって走り回った。人間として当たり前にすること」と自身の支援を振り返った。
 国田さんは、県内で出会った朝鮮半島出身の夫と22歳の時に結婚し、終戦間近に朝鮮半島へ渡った。
 県によると、国田さんは在韓日本人妻の相互扶助組織「芙蓉会釜山本部」会長として尽力。当時の韓国では、日本人妻の多くが貧しい生活を強いられ、出自を隠す中、家を訪ねて励まし、時に私財を投じ生活を支えた。自宅での月例会は、気兼ねなく日本語で話し、労苦を分かち合う場となった。
 国田さんは、平均年齢が90歳を超えた芙蓉会について「息をひそめてひっそり暮らす一人一人に呼び掛けながら、肩を寄せ合い長い歳月を大切に育ててきた」と話した。
 親日派だった夫については「会員が米やお金がないと言って訪ねて来ると、必ず『ご飯を食べていきなさいよ』と声を掛けた」と明かし「申し分のない主人だった」と語った。
 記念行事は、韓国・平沢(ピョンテク)市と松山市の民間交流を進める「愛媛地球市民の会」(会長・森高康行県議)が開き約50人が出席した。
 県は19日、国田さんの功績をたたえて「愛顔(えがお)のえひめ賞」を授与した。県庁であった表彰式で、中村時広知事は「長年にわたり在韓日本人妻に寄り添い、支援の手を差し伸べる活動を続けられ、県民に明日を信じる『愛顔』を与えた」とこれまでの苦労をねぎらった。
 国田さんは15日に来県し20日まで滞在、21日に日本をたつ予定。